夫が出て行った日、スマホに通知が届いた。
「移動を開始します」
GPSアプリからのアラートだった。
夫が向かった先は、夫の実家ではなかった。
言わずもがな、女と関係のある会社の住所だった。
出張と偽って映画館へ行った日に、女を迎えに行った場所。
そういえば夫は、出ていく前、こんなことを言っていた。
「社長の持っている物件に、格安で住まわせてもらう」
社長の会社に住むのか。
それとも、会社の駐車場を借りているだけなのか。
わからない。
ただ、その場所は女のマンションから1駅だった。
女のマンションは、わたしの勤務先から徒歩で行ける距離にあった。
わたしは、自分の目で確かめたくなった。
女が住むマンションを。
「社長」が経営し、女の関係先でもある会社を。
夫が今いる場所を。
もしかしたら。
夫が女のマンションから出てくるところを、写真に撮れるかもしれない。
そう思って、夫が出て行った2日後。
仕事が終わると、その足で女のマンションへ向かった。
女のマンションは、わたしの会社からほんの数分の場所にあった。
こんな場所に住めたら便利だろうな。
そんなことを、ぼんやり考えていた。
近くのコンビニの駐車場には、高級車が並んでいた。
レクサス。
ゲレンデ。
見たこともない外車。
わたしが住んでいる街とは、明らかに空気が違っていた。
都心の一等地なのに、ゴミゴミしていない。
静かで、整っていて、妙に余裕がある。
都会のオアシスみたいな場所だった。
女の住むマンションは、高級タワーマンションだった。
夫のノートからこの住所を見つけたとき、スマホで検索したら新築して日が浅いマンションだった。
わたしは購入を検討しているふりをして、オンライン見学を申し込んだ。
質問に丁寧に答えてくれる女性スタッフに申し訳ないと思いながら、間取り、空き部屋の状況、価格帯……資料を次々スクショしていった。
エントランスのオートロックは、暗証番号を押さなくても、鍵を持っているだけでドアが開くらしい。
世の中、ずいぶん進化している。
その時、夫のキーケースを思い出した。
我が家の鍵と並んで、見慣れない鍵が当たり前のように付いていた。
あれか。
あの鍵か。
あれがあれば、このマンションに入れるのか。
一瞬、本気で思った。
わたしでも、入っていけるんじゃないかって。
でも、ダメだ。
ここにはコンシェルジュがいる。
もし入っていったら、呼び止められるだろうか。
不審者としてつまみ出されるのだろうか。
そんなことを考えながら、わたしはコンビニの前に立っていた。
女の部屋は412号室。4階の角部屋だった。
なんだ。
4階か。
せっかくタワーマンションなのに。
……いや。
それでも、わたしには一生手が届かない値段だった。
コンビニから、その部屋をじっと見上げた。
ベランダのカーテンが開いていた。
わたしが絶対に選ばない派手なインテリアが見えていた。
人の気配もあった。
ちょうど出勤前の時間帯だったのかもしれない。
女はバーのママだから。
夫は、あの中にいるのだろうか。
あの部屋に入り浸っているのだろうか。
コンビニの駐車場に並ぶ高級車を見ながら、ふと思った。
夫は今、こういう世界に浮かれているのだろう。
タワーマンション。
高級車。
余裕のある人たち。
そういうものを見せられて、自分も上の世界へ行けた気になっているのだろう。
ユニクロを10年以上も着続けてきた男が。
外食といえば、ラーメンか回転寿司だった男が。
こんな世界に、馴染めるはずがない。
無理をしている。
あなたは、そっち側の人間じゃない。
完全に、こっち側の庶民なのに。
わたしは、次の目的地、「社長」の会社へ向かって歩き出した。
そのときはまだ。
あの会社が、もっと気味の悪い場所だとは思っていなかった。
次回:「『社長』の会社の前に立って、わたしが見たもの」

