夫の実印が消えていた。家を失う恐怖の始まり

2_地獄の3か月

女のマンションと社長の建設会社を自分の目で確かめて帰宅したわたしは、ぐったりしていた。

炎天下を歩き回った疲れだけではない。

夫の周りには、不倫相手の女だけでなく、「社長」や「除霊の先生」といった得体の知れない人間たちがいることは以前からわかっていた。だが、実際に社長の会社をこの目で見たことで、その異様さを改めて実感してしまったのだ。

本当にこんな相手と戦わなければならないのか。

胸の奥に広がる不安は、時間が経つほど大きくなっていった。

そのとき、ふと嫌な考えが頭をよぎった。

「夫は、すでにあの人たちにそそのかされて借金をしているのではないか?」

そう思った瞬間、いてもたってもいられなくなった。

「まさか家を担保にしていないよね?」

「家の権利書は無事なの?」

「勝手に何か契約していないよね?」

頭の中で最悪の想像ばかりが膨らんでいく。

わたしは半ばパニックになりながら、印鑑と権利書を探し始めた。

印鑑セットは決まった場所に保管してある。

「あった……」

とりあえずケースはそこにあった。

ほっとしながら蓋を開けた次の瞬間、血の気が引いた。

夫の実印と、家族名義の銀行口座に使っていた銀行印が消えていたのだ。

本来なら、実印・銀行印・認印の3本が収まっているはずの印鑑ケースに、認印だけがぽつんと残されていた。

心臓が激しく鼓動を打つ。

手が震えた。

実印がない。

銀行印もない。

なぜ?

どうして?

嫌な予感どころではない――実際の危機が目の前にあったのだ。

次は家の権利書だ。

どこに保管してあっただろう。

家を建てた当時に見た記憶はあるが、その後は一度も確認したことがなかった。普通に暮らしていれば、権利書を取り出す機会などないのだから。

収納棚から書類の束を引っ張り出し、一つひとつ確認していく。

すると、司法書士事務所の名前が入った封筒が目に入った。

「あっ、これだ!」

震える手で中身を確認する。

あった。

家の権利書はそこにあった。

持ち出されてはいなかった。

全身の力が抜けるほど安心した。

結婚式のアルバムや奉加帳などを収納している棚に紛れるように保管していたため、夫も見つけられなかったのかもしれない。

実際、その推測は後になって正しかったことがわかる。

後日判明したのだが、夫は家を建てたときのハウスメーカーとの契約書類一式を、保管ボックスごと持ち出していた。

おそらく、その中に権利書も入っていると思い込んでいたのだろう。

だとしたら、夫は何をしようとしていたのか。

実印を持ち出し、銀行印を持ち出し、さらに家の権利書まで持ち出そうとしていた。

その事実に、わたしは強い恐怖を覚えた。

もしかして、わたしたちから家を奪うつもりだったのか。

そんな考えが頭から離れなかった。

翌日。

わたしは自宅の登記簿を確認するため、法務局へ向かった。

家に抵当権が設定されていないか、それだけが気がかりだった。

窓口で土地と建物、それぞれの登記事項証明書を取得する。

手数料は合わせて1,200円。

その1,200円は、わたしの人生を守るための、必要な投資だと思った。

受け取った登記簿を何度も確認する。

結果は――。

抵当権は設定されていなかった。

その瞬間、張り詰めていた緊張がようやく少しだけ緩んだ。

まだ間に合う。

まだ守れる。

そう思った。

この家は、ただの不動産ではない。

わたしと子どもたち、そして犬たちが暮らす大切な場所だ。

何があっても、誰に何と言われても、守らなければならない。

そのときのわたしは、そう固く決意していた。